Thursday 25 September 2014

繭の中に閉じ込められていた学生時代

今日は某女子短大の2年生に向けて、私の話をしました。

演出家の仕事とは、という話の後、なぜこの仕事に就くようになったのか、お話ししました。

私はずーっと、なんか自分の回りに分厚い半透明の繭があるような気がしていました。
何を話しかけられても、なんか直接自分と関わるものではないような、まるで録音された言葉がぼんやりと流れて来るような感じ。

たとえば小学生の頃、いじめられていたにもかかわらず、いじめられていることにさえ気がつかない鈍感な子供でした。
文字の世界にだけ、生きていたから、本ばかり読んでいました。
席に着いたらお尻に画鋲が刺さっても「あら、なんでこんなところに画鋲が」と脇に丁寧に置いておしまい。
いじめがいが無かったのでしょうね、あとは筆箱が高いところに置いてあるとか、グループを組む時に最後までひとりになる、という程度でした。

大学受験は、全部落ちました。(実は高校も全部落ちている。補欠で下から二番目で入学したのだ)
全部落ちたとき、親に、こう言いました。

なんで落ちたかと言うと、大学に行く意義が見いだせないんだもの。
大学に入って、どこかの誰かが敷いた、社会のレールに乗って進んでいくのは、そんなに素晴らしいことですか? 自分で道を切り開く方が、ずっと素晴らしいんじゃないですか?
(落ちてから言うから説得力無し)

結局、親の「日本の大学にさえ受からないのに、海外でやって行けるわけないでしょう!まず受かってからものを言いなさい。」に言い負かされ、浪人。
でも、浪人のお金を払ってくれた親には、今は本当に感謝しています。

ところが、選んだ予備校は、片思いだった男の子が選んだところ。
サッカー部のワルたちと一緒に(高校時代、サッカー部のマネージャーだった)。

浪人時代、二日に一度は体調が悪くて、予備校を休む日々。
ところが、シャンプーのコマーシャルに出てきそうな華奢で愛らしい、コスモスみたいな女の子が、毎日のように電話して心配してくれる。励まして、「明日はおいで」と言ってくれる。
(私は登校拒否な訳じゃなくて、ただぐったりして電車に乗れなかっただけなのだが)
その時代、初めて、女友達って、なんて素晴らしいんだろう!
と、 ようやく、友達のありがたさを自覚したのです。
それまで、私を友達扱いして下さったかたたちの愛情に気づきもせず。

浪人して、彼女に会えて、それから大学に行くという流れを踏んで、本当に良かったと思っています。

浪人時代は、そういう人間関係に目覚めたことのほかに、もうひとつ、大きな変化がありました。

つづく・・・

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