Friday 18 July 2014

Australian Theatre Workshop オーストラリア演劇ワークショップ

Wonderful director, actor, and writer from Australia gave us a super workshop in Tokyo and Matsuyama.

東京から松山、そしてまた東京と、1週間の怒濤の通訳をしてまいりました

とにかくみんな、ノンストップで喋るので、間に言葉を挟むのが大変!
でも、情熱と知識をみんなたっぷりと与えてくれました。

なによりも

なぜ、演劇をするのか

なかでも

なぜ、現代劇が重要なのか

それを、深く、深く、深く、そしてエキサイティングに
考えさせてくれる日々でした

ものすごいエネルギーを頂きました。

「英国の演技術」という本を出版したばかりですが、早くも新しく本が書けそうです

今後、内容を少しずつ、ご紹介していきますね


Aubrey Mellor, Andrew Bovell, Wesley Inock

midnight Matsuyama





Myself as a participant for Wesley's acting class

With a marvelous professional translator, Shiomi


Dogo Spa


今回の企画を可能にした、演出者協会理事長 和田喜夫












Thank you, everybody!

Sunday 13 July 2014

COSI FAN TUTTE, rehearsal starting

Rehearsal for our concert opera, COSI FAN TUTTE has started.

<シェイクスピア遊び語り>というシリーズで、シェイクスピア作品を映像や音楽を使って解説しながら、身近に感じて頂こうというプロジェクトを行っています

昨年から、それをオペラにも拡げようと、<オペラ遊び語り>を始めました

第2弾は此の夏、8月24日と31日、二種類のキャストで上演いたします

題材は、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」

シェイクスピア遊び語りを終えて、早速リハーサルが始まりました。

皆、予習のレベルが高く、初役のかたもいるのに、
もう稽古要らないじゃん、ってくらい、最高です。

だから、たくさん、リハーサルできます!











Friday 11 July 2014

東京藝術大学Opera科大学院 演技発表会

オペラ科では、より深く詳しく、演技を学びます
動きも然り乍ら、心理を細かく表現すること
および、その方法を学びます。

心ではどんなに深く考えても表現ができなくてはわからない

または

どんなに威勢よく、かっこ良く、美しく、見栄を切っても、
心が深く細かく具体的で無ければ、ただ芝居がかった、臭いものになってしまう

ここ数年、オペラ科を出てから海外へ出て、国際レベルで活躍する人が増えてきました。
いつも、国際レベルでのプロフェッショナルな表現をめざしています




Thursday 10 July 2014

東京藝術大学声楽科の授業発表会

授業では
「クラシカル・アクティング」(マルコルム・モリソン著。三輪えり花訳。而立書房)をテキストに使い、古典を演じる際の読解や身体の使いかたを学びます。

歩きかた、ステージの使い方、お辞儀の仕方

ハムレットやマクベスの悲劇に向かう緊迫した場面を先にやり
後半は、18世紀のコメディ
「目的のためには手段を選ばず」(オリバー・ゴールドスミス作、三輪えり花訳)
からの場面で、コメディのタイミングや
台詞の合間に考えられる様々な演技の可能性を探ります

今年の前期クラスは、とても優秀でした。
それとも、私の教えかたが進歩したのかな。

18世紀の貴族の役柄なので、せめて、ネクタイとロングスカートで演じます












Tuesday 8 July 2014

楽器の値段で観客を誘う手法について

私自身、作品をプロモートする側として、マーケティングの側面から考えてみます。

ある作品の内容が面白そうなので、行く気がすごくあったのに、出演者からの誘いかたが楽器の値段が高額だから聴きに来て、と聞こえたため、大変がっかりしたことがありました。

演奏者の楽器の値段を、共演する俳優が、感心して言ったに過ぎないのでしょう。

私たちも普段、同じ席にいたり、その場をリアルで共有している時にする会話で「さすが2000万は違うね!」ということはよくあります。

ところがそれを、一斉メールで観客動員に使ってしまったのですね。
文字にすると、その場の楽しい雰囲気や、ジョークな感じや、遊び心の感じなど、良いものがそがれてしまいます。
文字にしてしまうと、その情報を発した人が、音楽を楽器の値段で捉えているという風に感じられしてしまいます。
ものの良さを選ぶ基準が、値段という、第三者の付けた価値でしか測れないような人なの?と思われてしまいます。そんな人が舞台芸術をするわけ?と思われてしまいかねません。

その俳優の名誉のために申しておきますが、その俳優本人は、素晴らしい演技術の持ち主で、私も大好きです。
しかも、その人も楽器を習っています。
裕福な方で、おそらく世の中の素晴らしい演奏や作品にはたくさん接していると思われます。
だから、ものすごくものすごく驚いた。

楽器の値段が2000万だから、聴きに来て。

なぜ、そのような情報発信をしたのか?

その人にとって、なぜ、素晴らしい音色の楽器を、素晴らしい演奏者が演じるから、ではダメなのか?

もちろん、金額で良さを測るものは、たくさんある。
例えば車。
100万の車と、1000万の車、全然違う。
100万の車だから、乗りにきて、なのか、1000万の車だから、乗りにきて、なのか。
これは、誰が運転しようが、わりと金額で価値が決まる。
だから、そういう誘いかたは、ありだと思う。

だから、車は金額で売って良いと思う。
でも、車会社はそうしない。
金額は、紙の媒体でもウェブサイトでも、できるだけ目に触れないようになっている。
で、性能の素晴らしさや、革が美しい、とか、どれだけの手作業をかけたか、とか、を宣伝しているじゃないですか。

つまり、金額に価値は反映されているけれども、その金額だから、乗りにきて、という手法は車でさえも、使わない。

エルメスのスカーフも、ブシュロンの宝石も。
金額は一番最後にこっそりと、みせる。
手作業かどうか、どれだけの心と手間が、その製品に丁寧に掛けられているか、それをこそ宣伝する。

一方で、映画。
日本では、制作費何十億円!をすぐに謳い文句にします。

なぜか?

それだけの制作費を事前に集めることができた、つまり、多くの出資者の心を引きつけた、だから、期待していいよ、という意味だから、です。

でも、それだけの制作費をかけて、最新のテクノロジーを駆使したよ、衣装は全て本物の宝石を使っての手作りだよ、エキストラは何千人使ったよ、その人達のギャラも全部払っているよ、と言われても、やはり内容がつまらないか面白いか、ですよ。

さて、車と映画は、
「ある作品を作るために、多額の金額を投入した」が金額になります。

一方、楽器と演奏者の関係は、
「素晴らしい演奏をしたいから、この楽器にした。そしたら、こんなに高額な楽器だった」なんですよね。

演奏者自身は、楽器の金額の話はしない。
音楽や舞台芸術に疎いかたが、金額にびっくりして、2000万の楽器だよ、一生に一度は聞いた方がいいよ、と言うのはわかる。
でも、同じ舞台に立つ共演者が、それを言うことに、私は同じ演劇人として、とても残念に思えたのです。

衣装とか、宝石とか、そこにあるだけで価値が既にあるなら、それもまだ許せるけれど。

楽器は、演奏者ありき、ですもの。
演奏者の質の高さがないと、そのレベルの楽器は貸与・購入できませんから、もちろん、素晴らしい演奏に違いありません。

私は、大変恵まれていることに、ロストロポーヴィッチの演奏を(おそらく億単位もしくは値段の付けられない楽器を使用)小沢征爾の指揮で普通に聞いていました、ロンドン時代。ウィーンフィルも、ベルリンフィルも。最高のソリスト達の演奏も。本当にありがたい。高額な楽器ばかり!しかも世界トップの生演奏!どれほど聞く耳を養ったことでしょう!
だから、楽器の値段自体には興味はありません。

けれど、もちろん、そういう経験をまだ、していない人に、音楽や演劇にまず興味を持ってもらうには、金額で驚かせるのも良いのではないか?

NO。

なぜなら、興味をこれまで持って来なかった人に、2万円の楽器と2000万円の楽器の差がわからないだろうから。
(その場で弾き比べるなら、ともかく)

さて、あなたがプロデューサーなら音楽と演劇の融合作品を、どう売りますか?

Thursday 3 July 2014

イラン・レイシェルのアニマルワーク

英国王立演劇学校 Royal Academy of Dramatic Art のムーブメントのシニア教授として
私にアレクサンダーテクニークとムーブメントを教えて下さった
イラン・レイシェルが来日。

東京芸術劇場の招きで
アニマルワーク(動物の動きを研究して演技に生かす)のワークショップを行いました。
イランは、私を通訳に指名してくれて、3日間、
今回も学びを深めることができました。

イランとであって、アレクサンダーテクニークを学ぶまで、
私は自分の身体と脳(司令塔)をまるで繋げることができない、
つまりは極度の運動音痴でありました。

運動音痴は生まれつきのもので治らないと諦めていましたが
アレクサンダーテクニークの通訳をしながら一緒にワークしていった初めての3週間、
3週間が終わった頃には、私は自分の脳が自分の神経や筋肉としっかり繋がっていることを認識、本当に驚きました。
以来、動くことが苦でなくなりました。

実は声も、かつては、本当に出せなかった。

それが、RADAで訓練を受けるうちにできるようになりました。

「できなかったことができるようになった」
この学びがあるから、私は教えることができるのだと思います。