Monday 14 May 2012

感動的な林正寿先生の講演。すごかった。

イギリスを知る会という教養娯楽の会がありますの。
三輪えり花も演劇やシェイクスピアの話など何度かさせて頂きました。先週末には、早稲田大学を退官なさったばかりの林正寿教授のお話を聞きにいきました。
左から、イギリスを知る会の主催の一樂信雄先生 三輪えり花 林正寿先生

林先生は経済・財政がご専門で、今回のお題目も「イギリス病からの回復と日本病」
という難しそうなものでした。
しかししかしその内容たるや、大変に興味深く、面白く、可笑しく、知的好奇心を多いに刺激され、満たされました。

1946年、つまり戦後直後ですね。島国のイギリスはやはり第二次大戦で相当疲弊しました。食糧難に陥るほどの状態を味わったイギリスは、国民をまず食わせる、生かすところから始めなくてはなりませんでした。国民一人一人に生きる術さえなかったのですから、とにかく社会福祉!ということで、医療保険(国民健康保険)と青少年保護法、エネルギーと運輸・郵政・鉄鋼など基幹産業分野を国有化、仕事が無いところに仕事を落とす護送船団方式で、やれるだけのことは手厚く保護する策に出て、「揺り籃から墓場まで政府が(税金で)面倒をみる」ことになりました。この辺りは、日本の戦後と同じです。

問題は次です。
この手厚い保護政策によって、勤労意欲が低下、投資は(国内はどうせ国がお金を出してくれるさ、という気持ちから)海外へ逃げ、故に技術も伸びず、国内経済・金融の空洞化、あとは既得権益にしがみつき吸い上げる体質だけ。
おお、まるで愛すべき我がニッポン!

そして鉄の女サッチャー登場。
彼女は基幹産業の民営化、所得税率の引き下げ、地方財政改革等、「痛み分け」の行政改革を行ないました。
小泉政権はこれと似ています。

しかし改革に懐古主義はつきもの。
あのドイツでさえ、鉄のカーテンの象徴であったベルリンの壁が崩壊したときのお祭り騒ぎは数年でほとぼりが冷め、「完全雇用」をうたっていた共産主義時代のほうが良かった、と嘆く元東ドイツ。(林先生によると、共産主義の唄っていた完全雇用とは、一人でできるはずの仕事のところに10人押し込んで、はい、完全雇用、というわけで、ものすごく効率が悪い上に、意思疎通は混乱、意思決定はする人がいない、多勢過ぎて責任がどこにあるかわからないので誰も責任を取らない、というそういう状態だったそうです)

話を戻すと、英国ではこの痛い改革時期を「不満の冬」と呼んだそうです。

おお! これはシェイクスピアの台詞からではないですか〜
リチャード三世の冒頭ですよ、
Now is the winter of our discontent
Made glorious summer by this son of York;

名台詞です。
遊び語りで「リチャード三世」できる日はいつかしら。

話を戻します。サッチャーはずいぶん叩かれながらも10年在任しました。
この間、日本の首相は7名変わったそうです。
かくん。
こんなに変わるんじゃほんとに何もできないですね。
何もさせないためにマスコミが下ろしにかかっているとしか思えないんですけど。

そして林先生の話は、イギリス人の諧謔性と自由と権利と義務の話へ。
以下は、林先生のおっしゃったことを私がまとめたものです。

例えばイギリスは、自虐的な歴史教科書を作る度量がある。
イギリス人は stop to think 立ち止まって考える。
日本人は stop thinking 思考停止。

林先生は、高校生の頃、AFS奨学金でアメリカへ留学していらっしゃいます。それが1959年。飛行機の片道切符が、「親父の一年分の給料だった」そうで、奨学金以外には留学の道等ありませんでした。

アメリカの高校の授業といえば、教師が「喋るだけで終わり」なんてことはありえない。
最初の10分で、教師がその日の議題をオリエンテーションをする、そしてあとの50分は、ひたすら学生同士のディスカッション。
教師の言うことにさえ、高校生が反論したりする。
教師は「なんだ、先生の言うことが聞けないのか!」なんて言わずに、笑いながら「どうして?」とか聞き返している。

「原爆は日本とアメリカをそれ以上の戦争から救ったんだから、善だ。ハヤシ、おまえどう思う?」
こう聞かれて、日本人なら「や〜、めんどくさい話になっちゃったな、ここはごまかしてスルーしよう」と思い、I don't know とか答える。

その結果は?

軽蔑。こいつ、なんもかんがえてないや。話をする価値無し、人間としての価値無し。

そういう風に思われて終わり。

だけど、「いや、原爆は悪だ。理由その一、理由その二、・・・理由その10」と答えると、相手はひとつずつに対して agree か disagree かだ。
賛成する論もあれば、反対する論もある。
だけど、どんなにやりあってもそれが「感情を害する」ことにはならない。
「おまえ、気に入った」とあとは友達だ。
が、日本人はどうだ? 人と違う意見を言ったり、理路整然と話をしたりすると「あいつ、めんどくさいやつだぜ、変だぜ、ちかづかんどこう。ネットで匿名で攻撃してやろうぜ」になる。

いろいろ問題はあったかと思うが、僕は戦前の教育制度は賛成なんだ。
旧制中学・旧制高校・旧帝大。
旧制中学でデイスカッションをがんがんやり、理想を論じあい、
旧制高校でシェイクスピアを読む。
帝大では、翻訳なんか手に入れるよりも、原書を読む。原書で授業だし、ディスカッションだ。
エリートが育った。
エリートを育てるのは、「不平等」だろうか?
フランスは「平等」を大きく掲げた最初の国だけれど、あの国のエリート教育はすごいぜ。
知性を働かせるのが好きな奴は、知性をいやというほど働かせられる地位についていく。
そうでないものは、そうでないところで力を発揮する。
つまり、これが、適材適所なんだ。
適材適所は「悪平等」からは生まれない。「悪平等」はなれ合い以外のなにも生まない。

いずれにせよ、トップに立つ奴は、専門家ではだめだ。
専門家は自分の分野しか知らない。
トップに立つ奴は、「人間がわかる人間」でなくてはならない。
人を見る目と説得力があること。
そのためには、人文科学つまりHUMANITYを学ばなくてはならない。


。。。
どうです? 以上がおおよそ、林先生のお話でした。

ちなみに彼はICU卒業です。
旧帝大卒じゃない立場での旧帝大制度は、好感度高いですね。
また、彼は経済学者です。
それが「トップに立つには人文科学。シェイクスピアですよ」とおっしゃるんですよ。

私は、なんだか、自分のしていることに大変な価値と義務とお墨付きを頂いたような気がして、「ああ、この仕事してることをプライドに思っていいんだ!」ととてもありがたかった。

そうか、究極的には経済も政治も、「人が人としてまっとうに、そして楽しく、豊かに生きる」というためだもの。
人文科学・文学・藝術は、まさに人間らしい活動なのです。
経済活動に直結しないからと言って、決して卑下することは無いのだよ、諸君!

この日は私にとって、とても大事な日になった。

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