Sunday 19 February 2012

JOKO演劇学校修了公演

演目『春のめざめ』
19世紀末の厳しい道徳戒律に縛られた思春期を迎える子供達の性への好奇心が産む悲劇
フランク・ヴェデキント作

ミュージカルでもお馴染みですが、こちらは原作通りのストレートプレイ版。
お仕置きとしての鞭打ちが、大人の幼児性愛を示唆したり、婚姻前の子供たちの性交と妊娠、ホモセクシャルに至る男子校の生徒たちなど、スキャンダラスな事件に満ちていて、19世紀末に書かれてから、かなり最近になるまで欧米では上演禁止だった問題作です。

菊池准の演出の、映像を背景に使った美術が実に素敵で、私もアイディアいただきたいくらいです。
村田元史の翻訳もさすがと思える自然さで耳に入ってきました。
校長とラストの謎の救い主演じた加藤一平が、台詞の言い方、声、呼吸、登場人物組み立て、存在感揃って良し。JOKOが送り出そうとしている、「そのままプロで通用する役者」として秀逸。
少し気弱な、実はホモセクシャルにカミングアウトする少年を演じた友利哲健も、カミングアウトの場面がなかなか良かった。

みんな一所懸命で好感がもてるのですが以下に気になった点を:

詩的な台詞は、詩的に喋れているのだけれど、登場人物の状態や場面が嘘くさくなってしまった。
(登場人物を設定しない「詩の朗読」のようでした。ヴェデキントは、ふと自然描写を台詞に交えますが、あれは、子供が「あ、蝉が鳴いてる」と話題とあまり関係ないところでポッと言葉にするような感覚で書いているところがたくさんありますね。それを言ってから「まるで僕が叫んでるみたいだ」のように自分に引きつけてセリフを続けるわけです。もちろん、最初から自分に引きつけて描写するところもありますが、それならなおさら、詩的な朗読口調とはかけ離れなくてはなりません。)

俳優の動き方の癖が先行し、登場人物の場面や心情ごとの違いが出せなかった。
(例えば、衝動的に素早く動く人は、一挙手一投足がそればかりで…)

長めの台詞になると、その中での段落分けができずに、抑揚の同じ文章が、一色の感情だけでひたすら続いてしまった。
(上記の、詩的な台詞や自然描写の台詞の問題もここに関係があります。自分の心の中とも対話していなくて、気づきや変化が「声や目に見える行動に」現れてきませんでした。)

少年がどう、大人ぶった喋り方をするか、もっと研究してもよかったのでは?
少年と大人の狭間を演じなくてはならないのに。

猫背と前屈み!!!
身体表現も発声もやっているはずなのに!!!
これはいかん!!!!!
きっと、エクササイズのときは気をつけるのでしょう。どうして肝心の公演で気をつけないのだ!!!!!!!!!!

むー囧rz

みんな才能あるし、頭がいいからわかってくれますよね。
絶対に次回から気をつけて、たとえどこで舞台を踏むのであれ。

がんばれ!




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