今日は某女子短大2年生に、演出家の仕事と、なぜそれを選んだか、をお話ししました。
カナダ留学の際、演劇教育の授業を取って、これは日本に根付かせる必要があると思い、もっと深く演劇に就いて学ぶためにロンドン大学の演劇科で修士号を取りました。
ところが、そこで作品を作っているうちに、その作品が認められるようになっていったのです。
その結果、劇団昴に招んでいただき、演技講師として勤め始めました。
それでも、まだ、なんとなく、流れの中でそういう風になっていっただけで、演劇教育と演出家の狭間で、まだ自分の意志で決めた、というわけではなかった。
本当に、これが私の選んだ職業として、何が起きても絶対に諦めないで続けていけるか?との問いを自らに発して、イエス!と答えられたのは、35歳の時です。
芸術分野では、ほとんどが、小さい頃からその分野が好きで好きでたまらない、という人たちがプロになっています。
私の場合は、始めたのも遅ければ、選んだのも遅かった。
しかも、演劇教育を日本に根付かせる、という教育主体というよりは、現場の創作主体・・・
つまり、いつ、何が本当にやりたいことなのか、わかるには時間が懸かる場合もあるのです。
最後に、十二夜から、ヴァイオラの指輪のスピーチを、日本語と英語で行なって、この講演を締めくくりました。
最後の演技表現は、自分としては、うーん、余計だったかなー、あんまりうまくいかなかったなーと後悔しましたが、感想文では、英語と日本語の両方で聴けて感動、シェイクスピアを見たくなった、読みたくなった、と言っていただけてホッとしました。
シェイクスピアは韻を踏むのを発見すると原文は面白い、原文で読むと案外簡単なの。という話もしました。
最後に、質問をひとつしか受けられなかったのです。
映画監督になりたいという人からの質問でした。
つづく・・・
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