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Thursday, 25 December 2014

プレゼンスとは

お気づきでしょうか?
三輪えり花、ブログのタイトルを変えました。



プレゼンスとは、
単純に「存在感」とご紹介していますが、
それを支えるのは、
心・声・表情・身のこなし・知性・相手との呼吸・相手への思いやり・・・
つまり、演技力なのです。

演技、というと、誰か別の人になる、
俳優という職業のための特別なものです。

けれど、演技に必要なすべての要素が、
日常の私たちにも必要なんですよね。
それをプレゼンス、
プレゼンス力、
と私は呼んでいます。

プレゼンスのある人、
プレゼンスの優れた人、
とは、すなわち
心身ともに演技力の備わった人のことなのです。

*****

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Sunday, 12 October 2014

演劇にまつわる言葉 日本語篇

演劇にまつわる言葉(演劇 戯曲 俳優 舞台 観客)を、漢字の意味から考えてみます。

1.演劇=劇を演じる。

「劇」という漢字は、漢和辞典でひくと「激」と同義で、激しい、つまり、日常・尋常ではないことを示します。
劇という字のつくりの部分は、獣が取っ組み合いをしている様子なんですって。
右側はもちろん、刀の意味。
獣が取っ組み合いをしているところへ刀を持って切り込んでいくとあっちゃ、こりゃドラマチックですよ。
そう、un-natural なのが、劇なのです。

real に対して unnatural,surreal, non-real, ab-normal

現実に対して、非日常、超日常、似非、異常。
常ならざるもの。
それが劇。

2.戯曲
戯れの曲。
戯れという漢字をさらに細かくすると、虚しいという字に矛(ほこ)。
このブログじゃ漢字変換できなかったけど、つまりは中国の武器です。

「虚」は「実」に対しての「虚」だから、むなしい、という意味よりも、現実ではない、ありえない、夢の、という意味。
口偏がつくと、「嘘」。

「戯曲」の「戯」は「現実ではなく武器を交わす」という意味になるから、誰も死なない。たわむれ。遊び。

では「曲」は?

「曲」という言葉は、曲がりくねるという線の動きから来ているから、時間的経過を含む言葉だとおもう。
「絵」という時間の止まったものじゃなくて、時間と共に進む感覚っての?
必ずしも音楽の曲を表すものではないことは、「戯曲」が文を表すことからもわかります。

ということは、「戯曲」というのは、ある一定の時間戯れるルールを文にしたものでしょうか。

もちろん、曲を音曲ととらえ、本来は音楽が主体であったものが文章主体になっていった、という解釈も成り立ちます。

3.俳優
日本書紀では、「俳優」という単語に「わざおぎ」と振り仮名を振ります。
漢和辞典では「俳」の一語だけでも「わざおぎ」と読ませています。

「俳」の字を分解すると、人に非ず。

ここで言う「人」とは、「常人」を表すものでしょう。
だから、「俳」は人間じゃないものという意味ではなくて、常人じゃない状態の人、という意味が大きいのでしょうね。
神がかっている、とか、獣じみている、とか。
仮面を被ったり、人間の顔とは思えないような化粧を施したり、あるいは感情の度合いを極端に表現したり。
基本は人間だけど、でも、常人の幅を極度に超えた表現をするのが「俳」。

「優」という字も、分解すると切ないですね。
人を憂う。

「俳優」とは、人に非ざる状態で、人を憂う。

なんとすばらしい職業。

実は「憂」という字には、「大きなかしらをつけて足踏みする」という意味もあります。
ますます俳優に相応しいですね。

4.舞台
舞う台です。
それ以上でも以下でもありません。

5.観客
観る客です。
それ以上でも以下でもありません。

しかし、この4と5が、日本の演劇と西欧の演劇とを分ける大きな違いとなるのです。
詳細は、別項。
演劇にまつわる言葉、英語篇で、お話します。

こうしてみてみると、日本語における演劇は、

ある時間内(曲)における現実ではない(戯)が、非日常の激しいもの(劇)を、常人ではない状態になった人(俳)が仮面をつけて足を踏み鳴らし(優)、台の上で舞う(舞台)ものを、観る。

ということに集約される、と思って間違いないでしょう。

漢字ってすごいですね。

Saturday, 11 October 2014

演劇にまつわる言葉 英語篇

欧米各国語に於て、演劇に纏わる言葉は、西欧演劇発祥の地、ギリシャの言葉から来ています。

ギリシャ演劇とは、紀元前5~4世紀に書かれて今もなお世界各地で上演されたり映画化されたり、オペラになったりしている一群の悲劇・喜劇を指します。

すごく古い言葉なんです。
つまり、概念がそれほど古い。
神様への儀式が始まりですからね。

人類を類人猿から分けるのは埋葬と宗教的儀式だそうですが、ならば、宗教的儀式から生まれた演劇は人類の歴史と同じくらい古いわけです。

でも文字に残されないと消えてしまいます。

で、西欧演劇のルーツで且つ文字に残ってる一番古いのが、今から2500年前のギリシャ劇なのです。

では、私たちに馴染みの深い英語で、演劇に纏わる言葉をみていきましょう。


≪THEATRE≫
シアター
ギリシャ語読みでテアトル「劇場」
ギリシャ時代、劇場は屋根のない野外。
背景は建造された土地によって険しい岩山だったりオリーブの森だったり真っ青なエーゲ海だったり。

摺鉢型の客席のまんなかに真円の土間舞台。

客席自体はその土間舞台をぐるりと囲んでいて、ちょうどバウムクーヘンを一部カットしたみたいに開いた部分から背景の景色を望むようになっている。
その借景の手前に、舞台装置を兼ねた楽屋と、平土間の円形部分より一段高くなった、主役用の舞台があります。


≪ORCHESTRA≫
オーケストラ
ギリシャ語読みではオルケストラ。
今では楽団のことをさすけれど、これが、摺鉢型客席のまんなかにある真円の平土間舞台のことなんです。

このエリアでは主役以外の大勢さんが歌ったり踊ったり、楽器を演奏していました。

あ~だから現代語のオーケストラ。

でも現代の劇場やホールは、オケが入るオーケストラピットは真ん丸じゃなくて半円ですよね。
なんで?

実はギリシャ文明が衰退した頃、代わりに隆盛を誇ったローマが、真円だと主役が遠い、と言って半円にぶった斬ってしまったのじゃ。


≪CHORUS≫
コーラス
大勢さん、または合唱隊
ギリシャ語ではCOROSコロスと言いました。
当初のギリシャ劇は30~50人のコロスに主役は一人。
主役だけではドラマは進まないでしょ、というわけで。
だからコロスは、オルケストラの部分で歌ったり踊ったり、主役の気持ちを代弁したり、舞台裏で起きた事件を説明したり、神さまたちへの祈りを捧げたりして、劇の進行や盛り上げに重要な役割を担っているのです。


≪SCENE≫
シーン
場面。
オーケストラを客席がぐるりと囲んでいますが、その開口部に、一段高く、ステージを設けます。
そのステージが屋根つきの一軒長屋みたいな横長の建造物を背負っています。
この二つを合わせて、スケーネと呼びました。
英語読みだとシーン。


≪AUDITORIUM≫
オーディトリアム
観客席
ギリシャ語読みではアウディトリウム。
このAUDIという言葉、ドイツ車の他に何かを連想しませんか?

AUDIO。オーディオ。

そう、このAUDIという語は「聴く」という意味なのです。
だからオーディトリアムは観る席じゃなくて聴く席。
観客席じゃなくて聴衆席なのです。

audienceオーディエンスも同様。
観る客=観客じゃなくて、聴く客=聴衆の意味なんですな。

お芝居、演劇が、欧米では本来、観るものではなく、聴くものだったことがわかります。

だからシェイクスピアやモリエールや、現代劇作家まで、すごい・面白いと言われている劇作家は、言葉が音楽的な点が高く評価されているのです。
客も、聴いて驚きながら楽しむ。

一方、観て楽しむものはスペクタクルspectacle。
スポーツとか競技系や試合といった、ローマ時代の巨大競技場で行われたものがこちらに分類されます。
観客はspectatorスペクテイター。

因みにメガネglassesは正式名称をspectaclesというし、詳しく細部まで調べることをinspect、検察官をinspecterといいます。
全部、「よく見るspect」繋がり。


というわけで欧米型の演劇が聴いて楽しむというスタンスがわかりましたね。


しかし、いつまでもギリシャ語のままで使われているということは、西欧各国にとって、演劇は自国語の中にはなかったのでしょうか?

演出家という職業に必要なこと

今でこそ、演出家という、相手の良さを引き出す職業をしていますが、実は!

私という人間は社会性が皆無でした。
今でも皆無だ!と言われますが、今以上にとことん皆無だったのです。
それがどうして、かなりの社会性を必要とする、演出家という職業について、かろうじてなんとかやっているのか。。。皆目見当がつきません。

もっとも、社会性の無い人間が、社会を映す鏡である演劇を眺めるわけですから、かえって客観的になって良いのかもしれません。
が、稽古場という現実の人間関係対応は今でも大変気を使います。気を使いすぎてパワーを失うこともあります。

が、大事なのは私の人間関係ではなく、お客様になにを伝えるかです。

戯曲(お芝居の台本になる本)を演出するにはとてもたくさんのことをこなさなくてはいけません。

その作品をどんな絵で見せたいかとか
その作品からどんな音が聞こえてきたいかとか

空想の引金は様々ですし、いろいろ思いつく順序は演出家によって違いますが、少なくとも、人が何かをしている絵の連続で、観客の心を動かさなくてはならぬという大命題は同じです。

すると、絵や音という問題以前に、どんな人物を描写するのかが一番大事になります。

そこで必要なのが人間観察。
そして彼らの生きている社会の考察。

とくに道徳と常識。
なぜならドラマの主役たちはほとんどが不道徳と非常識に関わるからです。
私がよく参考にするのは、いはゆる文豪と呼ばれる作家の作品。
明治のものもロシアのものも、心理描写と社会・生活描写が、知らない世界を教えてくれます。

このようにして、その戯曲の内面と背景を勉強して、さてどんな絵で見せようかという段になります。

時代設定をそのまま使うのか、エッセンスを取り出して象徴や抽象で展開するのか…

一般に、演出家のセンスやスタイルが最もわかりやすく人目につくのが、ここです。

が、それが頭の中にある段階までなら社会性がなくても、勉強熱心で、創作意欲と想像力があれば、大丈夫。

問題はそのあと。
これを具現化する段階です。
プロデューサーとスタッフ、俳優、といった、自分とはものの見方の異なる人達を説得しなくてはなりません。

ことに名作古典となると、それぞれが「こうあれかし」というイメージをかなり強く持っているので、刷りあわせはなかなか大変です。

腹を立てず相手を立てて、自分のイメージを上演する意義と根拠を根気よく伝えていかねばなりません。

落ち込まず、疲れを見せず、来るのが楽しいと皆が思える稽古場を作ります。

言うは安し。
10円ハゲができます。

「休みの時は何してるの?」
よく聞かれますが、稽古がなくても休みではなく、次の作品探しや翻訳、執筆が待っている演出家は多いでしょう。
遊びに行っても、場所の内装や照明や、自然の中でも木もれ日やらが全て、作品作りのための情報としてインプットされていきます。
ですから演出家としての活動は絶え間なく続くのですね。
遊びも仕事というわけです。

もっとも仕事が遊びなんですから文句は言えません。

演出家の脳みそは、こんなふうに、いつもアンテナを360度に張り巡らせて、
情報受信
→情報解析
→情報分類
→アクセス
→忍耐と笑顔を付加して利用
という具合いに活動しているのです。

きっとこれは演出家やクリエーターだけでなく、優秀なビジネスマンも、同じではないかと思います

Thursday, 25 September 2014

演出家の仕事

今日は、某女子短大の教養講座でお話をさせていただきました。
演出家の仕事について、です。
短大の2年生対象ですから、既に就職が決まったかた、4年制大学編入が決まったかた、まだこれからのかた・・・いずれにせよ、人生のある岐路に立っている若い美しい命達に向かってお話せねばなりません。
まず、演出家の仕事についてお話ししたので、その部分をご紹介します。

++++++

演出家の仕事は、映画で言えば、映画監督のようなもの。
ある作品を、どんなふうに見せたいのか、内容も、衣装も、照明も、「こういうふうにしたいの」というイメージを持たなくてはなりません。
プロデューサーを説得し、舞台美術家を説得し、衣装デザイナーを説得し、俳優を説得します。あるいは話し合います。

ロミオとジュリエットを上演したいとき、お客様が悲劇にショックを受けるのは、二人が生きる希望に満ちて、なんとしても恋を成就させたいと思うから。
でも、ジュリエットは、案外ダークな台詞を言います。
「私が死んだらロミオを切り刻んでからお空の星にして」なんて、グロテスクなイメージなんでしょう!
そういうところから、ジュリエットには、無意識や潜在意識で「死に対する憧れ」があった、深層心理で暗い望みを抱えていた、と心理学的に解釈して、どこか暗い死の影を持つジュリエットで演じたとしたら、お客様はラストシーンに驚かないでしょう。
私たちが、ドラマにハラハラするのは、ジェットコースターと同じ、登っていくとき、先に線路が見えないから、怖いのです。
だから、ドラマを先を先読みさせてはいけません。
ロミオとジュリエットのような、誰もが知っているストーリーに、どんな新しいジェットコースターの軌跡を設計するのか、それが演出家の仕事なんです。

因みに、皆さんも演出をしているんですよ。毎朝。
髪型を整えるとき、メイクをするとき、服を選ぶとき。
丸襟か四角い襟かで、相手に与える印象は驚くほど異なります。
Tシャツとジーンズでいいや、と思う時でさえ、色は何色か、なぜそれでいいのか、というしっかりした理由があります。
あまり目立ちたくないから、という意識でさえ、立派な理由なのです。

そう思うと、毎朝、違う自分を演出することができますね。
「いつもと違うね」は褒め言葉になりこそすれ、あなたを引き止めるブレーキになってはいけないのです。
毎日、違っていい。(タレントさんは、ある特定のイメージで売る場合が多いのですが)
変わりたいと思った時、いつでも変わることができます。

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この話からは、多くの学生から、変化していいのだ、変化するのが怖くなくなった、毎朝演出していると思うと楽しくなってきた、という感想を頂きました。

続いて、自分の経歴の話をしました。つづく・・・