高校は補欠合格でビリから二番目。
大学受験は偏差値48。
両親の愛情のおかげで、苦しい経済状態の中浪人させてもらい、
次の受験では、予備校時代の偏差値は78を記録、
第一志望からの合格通知でトランプができそうな有様。
なぜにここまでできたのか?
わかりません。
ある日、突然、世界史の年号の一つが、ヨーロッパで起きていることと中国で起きていることが合致していることにふと気付きました
「あ!世界は呼応し合っているんだ」
そう思った時、脳内世界のネットワークが、映画の特撮で見るみたいに、
次から次へ光を発して繋がっていく感じがしました。
これまで断片でしかない、わけのわからないジグゾーパズルのかけらに埋もれて
もう、いやっ!
覚える意味もないし!
と思っていたものが、実はネットワークによってつながれば、実に面白い事象のかけらで繋がっても面白いし、一つ一つの中身も面白い、ということが俄かにわかったのです。
その頃、英語の単語でも、メガネ spectacles を読んで、
「なんで eye glasses じゃいけないんでい」
と思いつつ、
「そういえば、サーカスとか映画でも、一大スペクタクルとか言うよなあ」
と気付きました。
「あ!これは spect という部分が「見る」という意味なんだ。
しかも、ただ見る "see" よりも、「しっかり見る」って感じじゃね?」
ここで、
「何万とある英単語も、根幹の部分(主にラテン語)を知れば、覚えるべき単語数って激減するじゃん!」
と喜びました。
脳内ネットワークがこのように、突然繋がることって、誰にでも起きるはずです。
私は子供のころ、繭の中に埋まっていて、世の中は薄靄の中からぼんやり見えているだけという感じを持っていました。
でも、私と同世代のこどもたちは、世の中のことや人間の付き合い(社会生活)というものをどんどん学んでいったりしていました。
大学受験で浪人もせずに、しっかり合格していく人たちは、私が抱えていたようなジグゾーパズルをいち早く理解しているに違いありません。
一方で、ポケモンのキャラクターだの、車のパーツの名前だの、エンジン音だけで聞き分けるバイクの種類や型番だのを、天才のように覚えてしまう子供達もいます。
そういう子供達は、その世界での脳内ネットワークが優れて早く構築されたのだと思います。
つまり、バカではない。すごく頭がいい。
使う箇所がちょっと偏っただけ。
そして、そっち側への偏りの方が、本人にとっては大事なだけ。
だから、つまんねー、わっけわかんねー、と思われるような学問上のことも、一瞬の「あれ?あ、そうか」という発見を自らがなした時、その頭の中では革命が生まれる。
これ、誰かに「ほら、世界史の年表は重なるでしょう?」とか教えてもらってもダメなのね。
「へー」で終わる。
自分で発見した喜び、というものが大事なのだと思います。
それは、本人が欲しなくてもある日、気がつく。
「世の中は事象が繋がれば楽しい」
それを周りも本人も意識してみると、いつか必ず、発見と脳内ネットワークの驚異的なつながりは、始まります。
私は、そう確信しています。