私自身、作品をプロモートする側として、マーケティングの側面から考えてみます。
ある作品の内容が面白そうなので、行く気がすごくあったのに、出演者からの誘いかたが楽器の値段が高額だから聴きに来て、と聞こえたため、大変がっかりしたことがありました。
演奏者の楽器の値段を、共演する俳優が、感心して言ったに過ぎないのでしょう。
私たちも普段、同じ席にいたり、その場をリアルで共有している時にする会話で「さすが2000万は違うね!」ということはよくあります。
ところがそれを、一斉メールで観客動員に使ってしまったのですね。
文字にすると、その場の楽しい雰囲気や、ジョークな感じや、遊び心の感じなど、良いものがそがれてしまいます。
文字にしてしまうと、その情報を発した人が、音楽を楽器の値段で捉えているという風に感じられしてしまいます。
ものの良さを選ぶ基準が、値段という、第三者の付けた価値でしか測れないような人なの?と思われてしまいます。そんな人が舞台芸術をするわけ?と思われてしまいかねません。
その俳優の名誉のために申しておきますが、その俳優本人は、素晴らしい演技術の持ち主で、私も大好きです。
しかも、その人も楽器を習っています。
裕福な方で、おそらく世の中の素晴らしい演奏や作品にはたくさん接していると思われます。
だから、ものすごくものすごく驚いた。
楽器の値段が2000万だから、聴きに来て。
なぜ、そのような情報発信をしたのか?
その人にとって、なぜ、素晴らしい音色の楽器を、素晴らしい演奏者が演じるから、ではダメなのか?
もちろん、金額で良さを測るものは、たくさんある。
例えば車。
100万の車と、1000万の車、全然違う。
100万の車だから、乗りにきて、なのか、1000万の車だから、乗りにきて、なのか。
これは、誰が運転しようが、わりと金額で価値が決まる。
だから、そういう誘いかたは、ありだと思う。
だから、車は金額で売って良いと思う。
でも、車会社はそうしない。
金額は、紙の媒体でもウェブサイトでも、できるだけ目に触れないようになっている。
で、性能の素晴らしさや、革が美しい、とか、どれだけの手作業をかけたか、とか、を宣伝しているじゃないですか。
つまり、金額に価値は反映されているけれども、その金額だから、乗りにきて、という手法は車でさえも、使わない。
エルメスのスカーフも、ブシュロンの宝石も。
金額は一番最後にこっそりと、みせる。
手作業かどうか、どれだけの心と手間が、その製品に丁寧に掛けられているか、それをこそ宣伝する。
一方で、映画。
日本では、制作費何十億円!をすぐに謳い文句にします。
なぜか?
それだけの制作費を事前に集めることができた、つまり、多くの出資者の心を引きつけた、だから、期待していいよ、という意味だから、です。
でも、それだけの制作費をかけて、最新のテクノロジーを駆使したよ、衣装は全て本物の宝石を使っての手作りだよ、エキストラは何千人使ったよ、その人達のギャラも全部払っているよ、と言われても、やはり内容がつまらないか面白いか、ですよ。
さて、車と映画は、
「ある作品を作るために、多額の金額を投入した」が金額になります。
一方、楽器と演奏者の関係は、
「素晴らしい演奏をしたいから、この楽器にした。そしたら、こんなに高額な楽器だった」なんですよね。
演奏者自身は、楽器の金額の話はしない。
音楽や舞台芸術に疎いかたが、金額にびっくりして、2000万の楽器だよ、一生に一度は聞いた方がいいよ、と言うのはわかる。
でも、同じ舞台に立つ共演者が、それを言うことに、私は同じ演劇人として、とても残念に思えたのです。
衣装とか、宝石とか、そこにあるだけで価値が既にあるなら、それもまだ許せるけれど。
楽器は、演奏者ありき、ですもの。
演奏者の質の高さがないと、そのレベルの楽器は貸与・購入できませんから、もちろん、素晴らしい演奏に違いありません。
私は、大変恵まれていることに、ロストロポーヴィッチの演奏を(おそらく億単位もしくは値段の付けられない楽器を使用)小沢征爾の指揮で普通に聞いていました、ロンドン時代。ウィーンフィルも、ベルリンフィルも。最高のソリスト達の演奏も。本当にありがたい。高額な楽器ばかり!しかも世界トップの生演奏!どれほど聞く耳を養ったことでしょう!
だから、楽器の値段自体には興味はありません。
けれど、もちろん、そういう経験をまだ、していない人に、音楽や演劇にまず興味を持ってもらうには、金額で驚かせるのも良いのではないか?
NO。
なぜなら、興味をこれまで持って来なかった人に、2万円の楽器と2000万円の楽器の差がわからないだろうから。
(その場で弾き比べるなら、ともかく)
さて、あなたがプロデューサーなら音楽と演劇の融合作品を、どう売りますか?