After the House of Bernarda Alba, Elica took a walk around the waterfront.
ベルナルダ・アルバの後は、赤レンガをお散歩。
相手に応じて変幻自在! 自分を大事に、相手を大事に、 愛されて夢を叶えるライブインタラクションの技を伝えます。
Sunday, 27 May 2012
Takarazuka Top Stars 宝塚トップスタアの舞台
Been to see The House of Bernarda Alba, by FD Lorca in Yokohama
Starred was Jun Anna, the first Oscar in A Rose of Versaille,
and Hosachi Mori, also Takarazuka top in female roles.
先週の日曜日、横浜の倉庫へ、フェレデリコ・ガルシア・ロルカ作
『ベルナルダ・アルバの家』を観劇。
以前、博品館の舞台でご一緒した、宝塚のトップスタアさんたち、
俳優座劇場で木山事務所作品でご一緒した俳優、
RADAワークショップでご一緒した俳優、
たくさん知り合いがいて、嬉しくなりました!
森ほさちさん
どこまでいっても美女
泣き崩れるところか、最高でした
走り方もかわいいの
安奈淳さま
どこまでいっても若い
声も佇まいもとにかく一流
冒頭、喪に服したヴェールを被って歩いてくるだけで周囲の空気を圧倒するんです
終盤、部屋に一人もどる後ろ姿だけで、孤独と意固地さと疲労感が伝わるんです
会場は、倉庫で、コンクリの壁に囲まれた、照明バトンも無いところ。
蝋燭の生火で照らしていましたが、
うう、そうですよ、やっぱりこうこなくっちゃ!ですよね。
生火の効果はすばらしい!
コンクリの壁と床で、声が響き過ぎて、リズムや音量が盛り上がる場面の台詞や、
男たちの歌声や音響が入る箇所の台詞が聞こえなくなってしまうのが大変残念でした。
美術は朝倉摂氏なので、床を板にして、イントレで各登場人物の個室を作り、
そこにネットカーテンをつるすなど、なんとか響きを和らげようとはしていましたが、
コンクリの響きがどうしても勝ってしまいました。
熱く蒸されたスペインの屋敷の密室という設定では、
床に絨毯を敷くわけにもいかないし・・・
残響は、この空間を使うときの課題ですね。
倉庫を支える巨大な柱も数本、舞台空間内に既存していて、
そのため、柱の陰に登場人物が入ってしまうと、その人が見えなくなってしまうのですが、
私は全く、気になりませんでした。
ヨーロッパの劇場は、現代建築でない限り、
客席側にバルコニー席を支える柱が入るものなのですが、
おかげでバルコニー下の観客からは見切れがたくさんできます。
それでも、なんか、平気なんですよ。なぜなんでしょう?
で、今回も、私は全然平気で観劇できました。
使ってみたい空間です。
難を言えば、俳優たち一人一人はうまいのに、
全員のトータルとして見ると、バラバラになってしまっていました。
19世紀のスペインの古い因習にきつく縛られた家。
自身の結婚の、夫への失望から、娘に良い結婚をと望むあまり、
最良の相手を捜すうちに、末娘を除く全員が結婚適齢期を過ぎてしまったことへの
母の悩み、娘の悩み。
ののしり合いと嫉妬といじめと、
それでも姉妹としての切っても切れない血の絆。
一人だけ父親の違う長女のいたたまれなさ。
長女は、自分の醜さのせいで誰も求婚者がいない、
(演じた女優さんはとってもかわいいので、ちょっとこれが信じられなくて困る)
そのために次女以下の娘たちを結婚させるわけにもいかない、
みんなも結婚できないのは私のせいだ、という自責の念。
たしかに長女と末娘の葛藤はよくわかったのですが、
他の多勢の娘たちの存在が、
・・・美しくてうまいのに!
うまくかみ合っていない・・・
衣装は私の尊敬する萩野緑さん。
登場人物の内面をしっかり説明する衣装で、
一人はコルセット付き
一人はひらひらのミニスカート
一人は夢みる尼さん。
視覚的にはとってもわかりやすい。
でも・・・
自由奔放な娘が、自由奔放な格好をしちゃったら、
自由を許されないという状況設定からくる葛藤を、感じる必要がないのでは?
この戯曲に関しては、衣装が象徴すべきは、時代と因習という「締め付け」であって、
登場人物の内面ではないのではないかしら。
登場人物の内面は、締め付けを破って外へ出たいという「強い台詞」によって
表現されていると思うから。
だからやっぱりリアリズム的な時代設定通りの衣装(安奈さんの役、ベルナルダが着ていたすたいる)で見たかったなぁ。
緑さんの衣装のラインってすごく奇麗だから、それもあって
時代衣装で見たかった、って思います。
Saturday, 26 May 2012
庭の薔薇 奇麗
Roses in Elica's garden are blooming more and more!
三輪えり花の庭の薔薇、昨年11月に植えた苗がどんどん咲いてきています。
Iceburg, Climbing
相変わらず美しい
奇麗に咲ききるし、花の命は長いしで、本当に良い薔薇です
Margaret Merrill
開ききった姿も美しい。花弁がお洒落です
Pierre de Ronsard
ピエール・ド・ロンサールの蕾
って、こんなに巨大なのですね! 開花が待ち遠しい!
City of York
そう、薔薇戦争の白薔薇一族、ヨーク家の薔薇。
蔓薔薇で、日陰に植えたにも拘らず大変元気!
Angela
おやおや、蜂くん活動中
Angela leaves
アンジェラは葉っぱも丸くてとってもかわいい。
虫食いや病気も少なくて大変丈夫。
Duft Gold
蕾がついて楽しみにしていましたが、ちょっと元気がない・・・
White Christmas
この蕾が半開きになったかたちが、白薔薇の王様ですね
名無しの赤
カミキリムシに散々根っこをやられているので、大変病弱で、ウドンコ、アブラ、クロボシ、ベトとあらゆる病気にかかっていますが、なんとか奇麗に咲きました。奇跡的!
Sunday, 20 May 2012
Thursday, 17 May 2012
Under Name of Perfect Love それもこれも愛のうち 本日の稽古
三輪えり花のシェイクスピア遊び語り第8弾「それもこれも愛のうち Under Name of Perfect Love」本日の稽古後、作品のちょっとした紹介を、出演の渡辺慎平とルーサー市村が紹介します。
詳細は
http://acture.biz
お申し込みは
info@acture.biz
どなたでもお気軽に!
Tuesday, 15 May 2012
Roses this morning
So, how Elica's roses are doing this morning here in Tokyo outskirts?
The photos are taken by iPod Touch 4, since the camera is a little weak for close ups.
Margaret Merrill
It's becoming pink!
マーがレット・メリル
白薔薇のつもりでしたが、ほんのりサーモンが入った感じです。
Julia
ジュリア
東通路にはアーチ用に蔓ジュリアがありますが、こちらはシュラブのジュリア。
カッパー(銅)という色味ですが、結構明るめのようです。
Cocktail
ますます咲いたカクテル
Iceburg, Climbing
蔓アイスバーグ
みてください、この上品なかたち、上品な白!
溜め息の出る美しさです。
Julia, Climbing
蔓ジュリア
こちらのジュリアは開花しました。
ね、素敵な色でしょう?
Unknown Pink
名無しのピンク
ゾウムシ退治をしてから、ものすごく元気になり、どんどん色を見せています。
White Christmas
ホワイトクリスマス
例の大きな蕾、そろそろほころび始めています
Wild Strawberries
おまけ野いちご
Monday, 14 May 2012
感動的な林正寿先生の講演。すごかった。
イギリスを知る会という教養娯楽の会がありますの。
三輪えり花も演劇やシェイクスピアの話など何度かさせて頂きました。先週末には、早稲田大学を退官なさったばかりの林正寿教授のお話を聞きにいきました。
三輪えり花も演劇やシェイクスピアの話など何度かさせて頂きました。先週末には、早稲田大学を退官なさったばかりの林正寿教授のお話を聞きにいきました。
左から、イギリスを知る会の主催の一樂信雄先生 三輪えり花 林正寿先生
林先生は経済・財政がご専門で、今回のお題目も「イギリス病からの回復と日本病」
という難しそうなものでした。
しかししかしその内容たるや、大変に興味深く、面白く、可笑しく、知的好奇心を多いに刺激され、満たされました。
1946年、つまり戦後直後ですね。島国のイギリスはやはり第二次大戦で相当疲弊しました。食糧難に陥るほどの状態を味わったイギリスは、国民をまず食わせる、生かすところから始めなくてはなりませんでした。国民一人一人に生きる術さえなかったのですから、とにかく社会福祉!ということで、医療保険(国民健康保険)と青少年保護法、エネルギーと運輸・郵政・鉄鋼など基幹産業分野を国有化、仕事が無いところに仕事を落とす護送船団方式で、やれるだけのことは手厚く保護する策に出て、「揺り籃から墓場まで政府が(税金で)面倒をみる」ことになりました。この辺りは、日本の戦後と同じです。
問題は次です。
この手厚い保護政策によって、勤労意欲が低下、投資は(国内はどうせ国がお金を出してくれるさ、という気持ちから)海外へ逃げ、故に技術も伸びず、国内経済・金融の空洞化、あとは既得権益にしがみつき吸い上げる体質だけ。
おお、まるで愛すべき我がニッポン!
そして鉄の女サッチャー登場。
彼女は基幹産業の民営化、所得税率の引き下げ、地方財政改革等、「痛み分け」の行政改革を行ないました。
小泉政権はこれと似ています。
しかし改革に懐古主義はつきもの。
あのドイツでさえ、鉄のカーテンの象徴であったベルリンの壁が崩壊したときのお祭り騒ぎは数年でほとぼりが冷め、「完全雇用」をうたっていた共産主義時代のほうが良かった、と嘆く元東ドイツ。(林先生によると、共産主義の唄っていた完全雇用とは、一人でできるはずの仕事のところに10人押し込んで、はい、完全雇用、というわけで、ものすごく効率が悪い上に、意思疎通は混乱、意思決定はする人がいない、多勢過ぎて責任がどこにあるかわからないので誰も責任を取らない、というそういう状態だったそうです)
話を戻すと、英国ではこの痛い改革時期を「不満の冬」と呼んだそうです。
おお! これはシェイクスピアの台詞からではないですか〜
リチャード三世の冒頭ですよ、
Now is the winter of our discontent
Made glorious summer by this son of York;
名台詞です。
遊び語りで「リチャード三世」できる日はいつかしら。
話を戻します。サッチャーはずいぶん叩かれながらも10年在任しました。
この間、日本の首相は7名変わったそうです。
かくん。
こんなに変わるんじゃほんとに何もできないですね。
何もさせないためにマスコミが下ろしにかかっているとしか思えないんですけど。
そして林先生の話は、イギリス人の諧謔性と自由と権利と義務の話へ。
以下は、林先生のおっしゃったことを私がまとめたものです。
例えばイギリスは、自虐的な歴史教科書を作る度量がある。
イギリス人は stop to think 立ち止まって考える。
日本人は stop thinking 思考停止。
林先生は、高校生の頃、AFS奨学金でアメリカへ留学していらっしゃいます。それが1959年。飛行機の片道切符が、「親父の一年分の給料だった」そうで、奨学金以外には留学の道等ありませんでした。
アメリカの高校の授業といえば、教師が「喋るだけで終わり」なんてことはありえない。
最初の10分で、教師がその日の議題をオリエンテーションをする、そしてあとの50分は、ひたすら学生同士のディスカッション。
教師の言うことにさえ、高校生が反論したりする。
教師は「なんだ、先生の言うことが聞けないのか!」なんて言わずに、笑いながら「どうして?」とか聞き返している。
「原爆は日本とアメリカをそれ以上の戦争から救ったんだから、善だ。ハヤシ、おまえどう思う?」
こう聞かれて、日本人なら「や〜、めんどくさい話になっちゃったな、ここはごまかしてスルーしよう」と思い、I don't know とか答える。
その結果は?
軽蔑。こいつ、なんもかんがえてないや。話をする価値無し、人間としての価値無し。
そういう風に思われて終わり。
だけど、「いや、原爆は悪だ。理由その一、理由その二、・・・理由その10」と答えると、相手はひとつずつに対して agree か disagree かだ。
賛成する論もあれば、反対する論もある。
だけど、どんなにやりあってもそれが「感情を害する」ことにはならない。
「おまえ、気に入った」とあとは友達だ。
が、日本人はどうだ? 人と違う意見を言ったり、理路整然と話をしたりすると「あいつ、めんどくさいやつだぜ、変だぜ、ちかづかんどこう。ネットで匿名で攻撃してやろうぜ」になる。
いろいろ問題はあったかと思うが、僕は戦前の教育制度は賛成なんだ。
旧制中学・旧制高校・旧帝大。
旧制中学でデイスカッションをがんがんやり、理想を論じあい、
旧制高校でシェイクスピアを読む。
帝大では、翻訳なんか手に入れるよりも、原書を読む。原書で授業だし、ディスカッションだ。
エリートが育った。
エリートを育てるのは、「不平等」だろうか?
フランスは「平等」を大きく掲げた最初の国だけれど、あの国のエリート教育はすごいぜ。
知性を働かせるのが好きな奴は、知性をいやというほど働かせられる地位についていく。
そうでないものは、そうでないところで力を発揮する。
つまり、これが、適材適所なんだ。
適材適所は「悪平等」からは生まれない。「悪平等」はなれ合い以外のなにも生まない。
いずれにせよ、トップに立つ奴は、専門家ではだめだ。
専門家は自分の分野しか知らない。
トップに立つ奴は、「人間がわかる人間」でなくてはならない。
人を見る目と説得力があること。
そのためには、人文科学つまりHUMANITYを学ばなくてはならない。
。。。
どうです? 以上がおおよそ、林先生のお話でした。
ちなみに彼はICU卒業です。
旧帝大卒じゃない立場での旧帝大制度は、好感度高いですね。
また、彼は経済学者です。
それが「トップに立つには人文科学。シェイクスピアですよ」とおっしゃるんですよ。
私は、なんだか、自分のしていることに大変な価値と義務とお墨付きを頂いたような気がして、「ああ、この仕事してることをプライドに思っていいんだ!」ととてもありがたかった。
そうか、究極的には経済も政治も、「人が人としてまっとうに、そして楽しく、豊かに生きる」というためだもの。
人文科学・文学・藝術は、まさに人間らしい活動なのです。
経済活動に直結しないからと言って、決して卑下することは無いのだよ、諸君!
この日は私にとって、とても大事な日になった。
Sunday, 13 May 2012
Saturday, 12 May 2012
今朝の薔薇
My rose garden now starts blooming!
三輪えり花のいずれローズガーデン、
咲き始めました!
This is "Climbing Iceburg" in the East Alley.
Nicely full bud.
つるアイスバーグ
白薔薇
東通路アーチ
This is "Margaret Merrill" a white rose.
マーガレット・メリル
白薔薇です
I am really surprised with the size of the leaves.
マーガレットメリルの葉っぱ、巨大!
私の手のひらと比べてください。
Duft Gold
South Deck
デュフト・ゴールド
とても香りのよい、ゴールドの薔薇。
昨年、ある薔薇園で一目惚れして入手。
ちょっと弱いけど、がんばって蕾をつけてくれました。
Surprise!
This is "White Christmas" a huge white rose.
See how huge it is, comparing to my palm.
ホワイトクリスマス
見て、この蕾の大きさ!
Pink Shrub roses, name unknown at the South Deck.
名無しのピンク
南デッキを昔から飾ってくれる四季咲き
蕾がこうやってわしゃっとつくし、
花になると結構しなだれる。
花のかたちは剣先とカップの合いの子みたいな感じ。
誰か名前を教えてください
香りもものすごく良いし、最高なんです。
This is an old unknown red rose on the South Deck.
It is unfortunately eaten by very bad root worms, but I guess, it is still alive.
A few days ago, I put Bamboo vinegar on the ground, and
took off little elephant beetles, then a new bud quickly coming again!
これは南デッキにある古い名無しの赤
幹はカミキリムシにやられているし、
ゾウムシが既にずいぶん蕾をやっていたけれど、
カミキリムシ始末をして、
竹酢を根回りにまき、
もちろんゾウムシは捕獲退治したら、
なんとあっという間にまたも元気な蕾が!
This one is "Cocktail" climbing rose in my East Alley.
東通路のアーチになるであろうカクテル、こんなに咲き始めました!
Cocktail
カクテル拡大図
おまけのブーゲンビリヤ
南塀と内門を飾る予定。
わくわくどきどき
自分が庭師になるとは思ってもいませんでした三輪えり花
Tuesday, 8 May 2012
Wednesday, 2 May 2012
豊川先生お別れ会
先日はバレエの豊川美恵子先生のお別れの会でした。
お写真の向かって右端の笑顔の方が豊川先生です。これは去年の2月、シアトリカルダンス「人魚姫」終演後の楽屋です。この笑顔が1年もしないうちに天国へ行ってしまいました。
豊川先生と私の関係はまさにバレエと私の関係そのものでした。私の授業にはいつも出てらして、バレエのこと何も知らない私にいろいろアドバイスしてくださり、演劇的な演技とバレエの演技表現について相談に乗ってくださったり、シアトリカルダンスが新国立劇場の演目になった時も本当に喜んでくださって、プレゼントを用意して楽屋で待っててくださったり、とにかくバレエの思い出と言えばとにかく豊川先生がいつも横にてくださったのです。研修生ひとりひとりの名前を思い出しても、その研修生ついて先生とあんな話をしたなあと、表情も雰囲気も鮮明に思い出します。
去年の6月ぐらいだったでしょうか。演劇の授業を見学なさっているときに最近お腹が痛いのよ、と、しばしば授業を中座されて部屋から出て行かれるようになりました。
最後にお目にかかったのは10月の研修所中間発表会の日でした。お加減が悪そうでしたし、中間発表会はただでさえピリピリするものなので、稽古のお邪魔をしてはいけないと、簡単なご挨拶だけで失礼してしまいました。それが悔やまれます。
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